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金銭感覚のずれはきっちり話し合うこと

見合いにしても恋愛にしても、その段階で、相手がお金の始末のいいひとか杜撰なひとなのかは、はっきりわかっていてほしい。意外と、男のひとの方に節約観念があって、妻側に、今まで自分の月給で自分の好きなことをしていたのに結婚してから急に自分の好みの場所へ行けなくなった、好きなものを買えなくなった、などと嘆くひとがある。こんな問題も、恋愛でも見合いでも、いわゆる結婚式という決定的なときを迎える前に、自分はお金に細かいとか、私はお金にルーズだとか、よく二人の長所、欠点を話し合って、では実際の生活の中でどうするかを話し合っておくことだ。これは私の例だけれども、夫の母が、二言目には「倹約、倹約」「無駄遣いしてはいけない」と言う。たとえばお米がお釜に残っている。それを洗うと、いく粒かの米粒が出る。それをみんな溜めておいて、酸っぱくならないように毎日水を取り替えて、暇のあるときそれをグツグツ煮て、糊にして、白地の洗濯物などに使う。毛糸で編んだ靴下などが片方になってしまったのを、私は集めて袋に入れてクッションの中へ入れたが、夫の母は、ブツブツ切る前にほどけるものは全部ほどき、毛糸の玉をいくつもつくっておいて、編物に使う。朝早く起きて、磁石でもって庭に釘だの阻水の蓋など鉄分の物があれば、それを全部箱に入れておく。とても私にはできない、とおそれをなしたが、末の息子が大学に入ったとき、夫の母は、「これで中古の自動車を買いなさい」とまとまったお金を出してくれた。それは全く日頃の節約のおかけで、以前は屑屋さんというひとが、鉄の物は特別高く買ったのである。新聞紙も古雑誌も売った。目方いくらで持って行ってくれた。その額は、約三十年前で十八万円であった。新車で四十万ぐらいのときだったので、十八万あれば中古は買えたのだ。夫の母は人がどう見ようと、今、自分にとって必要なのは鉄の屑である。垣根の向こうを近所の人が通っても、一切気にしなかった。私はやっぱり尊敬せずにはいられなかった。そのような母に育てられた夫に家計を任せ、私は結婚して何十年と家計簿をつけたことがない。娘時代も小遣い帳などつけたことがなく、私の母はそれをやかましく咎めなかった。婚約時代に、二人で使うお金は割りかんでいいと思うけれど、あまりきちきちしないで、払える方が払い、次は前に払わなかったものが払うというようにしたらどうだろう。婚約もしないうちに、女は男とつき合うと、何でも払ってくれるからよいなどと決めこんでいては、男は配偶者失格と思うことであろう。ましてそうしてつき合ったあとで交際お断りなどと言い出す。案外男は、ほっとして、断ってくれて、ありがとうと思うかもしれない。