三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)から3C(カラーテレビ、カー、クーラー)へと、ひと通りの宝物、いや必需品を買い揃え、ひと通りの買い替えも初体験した六〇〜七〇年代は、買い物意識が感動という包装紙で包み込まれている20年間であった。買い替えといえば、私が白黒テレビ(63年購入)をカラーテレビに買い替えたのが68年。東京オリンピック(64年)以後、カラー放送が増えて白黒テレビではもの足りなくなったからだけど、買えるだけのお金がつくれるようになったからでもある。カラーテレビが到着した日のよろこびと、それまで愛用してきた白黒テレビを捨てるに忍びなくて押入れにしまった記憶はいまも鮮烈に残っている。私見によれば、買い替え、使い捨て消費のはしりはテレビと百円ライター(75年)である。初めに白黒テレビを買い、次に小さなカラーテレビに買い替え、さらに大型画面テレビに買い替えしていくうちに、買い物の感動は次第に薄れていった。こうして、新しい買い物意識が発生することになる。「買い物なんて別にハレがましくなくてもいいじゃないか」という、感動の喪失。ここのところ、誤解しないでほしい。百貨店のハレ性に代って、百貨店に出かけなくても自宅で買い物できる利便性が次第に認知されていったと言っているわけではないからね。欲しいモノが揃ってしまえば、買い物の感動(欲望)が薄らいでいく。その薄らいだ欲望を人工培養するものとして、クレジットカードの普及があった。カードをポケットに忍ばせておくと、欲しくないモノでも欲しいモノに錯覚させられてしまう。ふと目にしたモノがその瞬間に入手できるとすれば、欲しくなる道理。必需型消費の時代が終焉した八〇年代、カードは時代の申し子になった。モノ過剰カネ過剰時代の欲望刺激材になった。ひるがえって、カタログ販売はどうか。こちらもまた、カードと同様の欲望刺激材ではなかったか。放っておけば眠ったままでいる欲望に火をつけて回るカードと同じ役割を演じてはこなかったか。カタログの本質は小売側からの一方的な出張販売である。消費者からの具体的な要請があるわけではないのに、女性服売り場、家具売り場、料理器具売り場、家電売り場、健康器具売り場などを強引に消費者の家庭に出前して開店してしまう。