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イギリスの運河建設の歴史

イギリスの運河建設の歴史は、一五六四年のエクセター運河がその第一号とされているが、建設ブームのピークを迎えたのは一八世紀後半のころで、先鞭をつけたのが一七七二年完成のいわゆる「公爵の運河」であった。この運河建設計画は、リバプールから東へ四〇キロの炭田の地、ウォースレーからマンチェスターまでの一〇キロを水路で結ぼうというものであった。当時のマンチェスターでは急激な人口増加により常に安価な石炭が必要とされていたが、これに目をつけたのが、ウォースレーで鉱脈を所有していた、貴族で商才にたけていたブリッジウォーター公爵(一七三六〜一八〇三年)であった。公爵は、熟練の土木技師、J・プリントレーを雇い入れ、二年がかりで運河を完成させたが、プリントレーの優れた仕事ぶりに、イギリス政府は「わが国における最も非凡な集積であった」と高く評価し、その後の代表的な運河建設の計画書には、必ずといってよいほどプリントレーの名があったとされている。ついでながら、ブリッジウォーター公爵が船からの通行料で大儲けをしたことは、言うまでもない。